出産しました! 〜日赤医療センター(広尾)にて〜②
出産しました! 〜日赤医療センター(広尾)にて〜① の続きです。
2、実際の出産時どうだったか
私は初産で産むのに28時間弱かかったので、産後は体がボロボロでした。。。
出産の2日前の22時ごろ、陣痛が始まりました。予定日よりも数日遅れていたので、まだかまだかと思っていました。産む前最後の健診ではもしこのまま産まれなかった場合の入院の手続きの話を聞かされていたので、正直少し焦っていました。ただ、その夜は夫と一緒にリラックスして過ごすことができ、もうすぐ寝ようかと思っていた時でした。
”ん?痛い・・・!”
前駆陣痛がひどかったのでそれまで何度も痛みは感じていたものの、その時は少し痛みのレベルが違いました。痛みの時間の間隔をアプリで測りはじめ、これは本陣痛だと感じ、夫に伝え、母にも連絡。最初はそんなに痛くないと聞いていましたが、結構痛い・・・。徐々に間隔が短くなってきましたが、きちんと7.8分間隔とかではなかったので(病院
から陣痛が7.8分間隔になったら来るように言われていました)、病院に行っていいのか確信が持てず。夫や母にもう行くべきだと言われ車で向かいました。
それが夜中の1時くらいだったかな・・・。病院についたら、なんとベットが空いてないとのこと!後から聞いたらその日はいつもの約2倍の妊婦さんであふれていたそうです。空いていた健診とかに使う簡易ベットに横になり、助産師さんに確認してもらい、これは陣痛ですねと言われ、いよいよか〜と。
そのあとLDRに入る前の待機のお部屋?に移動。
数分間隔の痛みに耐えていたのですが、朝方になって助産師さんからまさかの言葉が。。。
“陣痛が弱まってきてますね。一度帰りますか?それとも病院内を動いてもう少し様子を見ますか?”
えー!こんなに痛いのに帰る??信じられませんでした。どうしてもこのまま産みたいと思い、もう少し病院にいるという選択をしました。朝の混み合った病院の階段を定期的にくる陣痛に耐えながら上り下りしたりテラスを歩いたり。母に付き添ってもらって、動き回りました。今もその時の辛さを鮮明に思い出せるくらい、この時間はきつかったです。
まだ産まれるまで時間がかかりそうだったので、主人は一旦仕事へ。(お昼頃にはまた戻ってきてくれました)
ご飯もでるのですが、痛みであまり食べられず。
母がずっとついて支えてくれました。
本当に本当に母がいてくれて助かりました。
その後夕方くらいになり、LDRに移動。わたしが移動した部屋は水中出産ができる広いお部屋でした。(水中のお風呂みたいなところにはカーテンがかかっていました)
そこからはまた一段と痛みが強くなり、記憶が薄くなっています。
母は一度帰宅し、主人と2人で過ごしました。長時間耐え続けた痛みで感覚がなくなりつつあったのか、気づかないうちに破水していました。
その後分娩台へ移動。まだ子宮口が十分に開いていなかったため、いきみのがしをしつづけ、もう体力の限界にきていました。徐々に赤ちゃんは降りてきていてもう少しのところまできていたのに、わたしのスタミナ切れでどんどん陣痛が弱まってきてしまい、何か食べるように言われました。バナナとか、ウイダーinゼリーを食べさせようと口元に母や主人が運んでくれるのですが、いたすぎて何も喉を通りません。
もうこの時は夜遅くになっていて今日中に産まれるかな?と助産師さんには言われていたのですが、わたしのスタミナ切れで陣痛が弱まったことで日をまたいでしまいました。
そこから初めて医師の先生がきて診察。陣痛促進剤を使うことになりました。促進剤をうって痛みは強くなるけど、私の力が入らない、足りない状態。このままだと赤ちゃんが苦しくなってしまうので吸引をすることに。吸引の機械を入れ、最後の力を振り絞り、朝方4時に子供が産まれました。
その時の気持ちは、陣痛があまりにも辛かったので
“やっと終わった”と思ってしまいました(^^;
ただ産まれた我が子をみて涙が止まりませんでした。お腹にいたのはこの子だったのかと。
すぐにカンガルーケアをしました。
小さくて可愛い我が子に感動していたのですが、、、
なんとお腹の上でウンチをしました!!笑
胎便というんですね。お腹の中にいるときに作られたもので、この世に生まれてきた直後に出ちゃったみたいです笑
でも産まれてからしてくれてよかったです!
夫や母が抱っこをしたり写真を撮ったりする時間も十分にありました。
長かったのでみんな寝不足でヘトヘトでしたが、大切な2人に立ち会ってもらえてよかったです。日赤は本人が望めば誰でも立会い可能だったのでそれは良かったなと思います!
つづく。